頭頸部外科の最新動向

 最初に登壇した光嶋勲会長は、「頭頸部外科の最新動向」をテーマに、発展し続ける再建手術について1960 年頃からの歴史を振り返りながら現状と今後の可能性について語った。

 2020年の秋、ヨーロッパではMMI社のマイクロサージャリーロボット「Symani Surgical System」が上市された。これを封切りに、超微小外科、再建外科領域のロボット開発はますます過熱することが見込まれる。超微小な組織を扱う手技においては、お箸を使う食文化で育つ日本を含むアジアと、欧米など他の国々とでは、外科医の手先のきめ細やかさに差が出るという。組織が細かくなればなるほど、その差は開き、欧米の課題となっていた。それを打開する一手になると期待されるのが 「Symani Surgical System」で、今後の動向を世界の形成外科医が注目する。

 微細な組織の切断や吻合を可能にするロボットの動きは、現状は人間の手技が見本になっている。その手技も歴史を辿れば、1960年代にまで遡る。数々の形成外科医が手術に挑み、失敗の上に成功が積み重ねられてきた。

 こうした背景のもと、光嶋会長は「顔面四肢の再建手術」を話題に挙げ、各国の形成外科医と自身の症例を振り返りながら、「同種移植」と「自家組織移植」について語った。同種移植とは、損なわれた臓器や組織と同じものを、ドナーから移植する手術。それに対し、自家組織移植は、患者本人の他の組織を移植する。同種移植に対する1番のメリットは、免疫抑制剤を必要としないこと。先駆的に新しい手術を開発し続ける光嶋会長は、1本の動静脈に微細血管を継ぎ足していく「オロチ自家組織移植」を生み出した。これにより、例えば、頭頸部や顔面のがんを取り除いた後に、患者自身の骨、太ももや背中、前腕、腹部の皮弁(血流のある皮膚・皮下組織や深部組織)を使って立体的な再建を行うことができる。ただし、「海外から修練に訪れたり、海外でのライブ手術を見に来たりする医師は多いが、30年経っても技術的に追随するレベルに達する医師はほとんどいない」と光嶋会長が明かすほど、オロチ自家組織移植は難度の高い手術なのである。

移植の歴史は同種移植に始まる

 前腕の同種移植においては、1964年にエクアドルで、世界で初めて行われたが、残念ながら2週間後には壊死に至っている。13年後に拒絶反応を起こしたが、1998年のフランスの症例は世界最初の成功として刻まれた。米国では1999年にブレイデンバック(Breidenbach)医師が米国初の成功を遂げた。この話の中で、ブレイデンバック医師から提供されたという動画を光嶋会長が投影した。そこには、他人から移植した上腕が自分の手であったかのごとく動き、靴紐を結ぶなど繊細な動作をごく自然に行う患者の姿があった。現在もこの患者は移植された手とともに生活しているという。こうして20年前に実現した手の同種移植は、2017年までに世界で107症例が行われ、77.6%の成功を収めている。成功率でみると、欧米とオーストラリアでは90%を超える。世界に広がる手術の1つではあるが、日本ではまだ行われていない。

 続いて、他の臓器の移植についての話に移る。子宮移植については初めて行われたのが2000年で、2011年のトルコの症例で成功してからは、2012年以降にスウェーデンで、9例中7症例で成功し、2014年には3人の赤ちゃんが生まれたと報告されている。日本でも慶應義塾大学医学部で研究が進められている。

 陰茎移植が最初に行われたのは、2006年に中国で報告された症例があるが、壊死を起こした。2014年に南アフリカで成功したケースでは、パートナーが出産するに至った。米国では、アフガンで下半身を失う負傷を負った兵士が、2018年に世界初の陰茎と陰のうの完全移植手術を受け成功している。

 顔面移植は、2004年にフランスで当時36歳の女性に行われたのが世界で初めてのケースとなった。11年後に拒絶反応と悪性腫瘍が生じ、この患者は亡くなった。2017年までに44症例が行われ、拒絶や感染でその1割にあたる4例が亡くなっている。

我が国で発展する自家組織移植

 複雑な移植手術の成功率は症例を重ねるごとに上がる一方で、我が国では移植手術は先進国の中では少ない。2010年に改正臓器移植法が施行され、脳死後に本人の意思が不明であっても家族の承諾あれば臓器提供ができることが決まった。しかしながら、社会的に脳死は人の死であるという考え方が受け入れられつつも、人の死としない考え方も根強い。「臓器を提供する場合に限り、脳死を人の死とする」考え方から「脳死は一般的な死とする」考え方の間で社会通念は揺れ動いている。

 こうした「同種移植」の課題がある中、「自家組織移植」が、近年のスーパーマイクロサージャリーの技術により発展し、我が国の移植手術の遅れを取り戻しつつある。同種移植に比べて外見に劣る面もあるが、免疫抑制剤を必要としないメリットは大きい。

 自家組織移植により再建外科が新しい局面を迎えたのは1987年。光嶋会長が開発した太ももの皮弁を頭頸部に移植するALT Flap(Anterolateral Thigh Flap)を世界に発信し、日本に先行して海外で広がった。新しい手術は、やがて常識的な治療の選択肢となる。これは、皮膚や筋肉などを血管とともに太ももや腹部、背中などから移植する「穿通枝皮弁法」として様々な再建手術に応用されている。穿通枝(せんつうし)とは、筋肉の中もしくはその下を通る太い血管から枝分かれして脂肪層や皮膚に向かって走る細い血管のことで、皮弁(ひべん)は血流のある皮膚をいう。この穿通枝皮弁を使った再建手術として、日本でも多く行われているのが乳房再建だ。

 さらには、つなぐべく神経と神経の間に生じるギャップが生じた時には、「ターンオーバー法」という、途中から先端にかけて途中まで神経を割いて、その割いた神経同士をつなぎ合わせてギャップを埋める手法も光嶋会長が生み出した。

 こうした手術も、ルーペから顕微鏡下で行われることで、術野を捉え、綿ぼこりに見紛うほどに微細な針糸を操作しやすくなるなど、進化する医療デバイスの貢献は大きい。

 光嶋会長は、手技の修練のためのトレーニングシステムや、直径0.3mm〜0.5mm、やがては0.1mmの血管や神経の吻合を可能にする機器など、スーパーマイクロサージャリーの発展に欠かせない開発のアイデアに触れ、オンライン会議システムを活用し、様々な領域から優れた専門家を国内外から発掘し、世界的な医工連携を実現することへの思いを述べた。